K.Yの成り行きまかせ

チラシの裏みたいなモノです。 読んで不愉快になっても責任は取れません。

公休日

自慢話に、自分が取得している資格の話でも書こうかと思う。

 

昭和63年9月

電話級(現:第四級)アマチュア無線技士 免許取得

 

全てはここから始まった。

 

アマチュア無線自体の興味は、小学生の頃からあった。

 

電気関係の小学生向けの図鑑にアマチュア無線を特集したページがあった。

 

『国家試験に合格して、免許を受ける事が必要』の趣旨を読み、その時点では諦めた。

 

高校に進学して、単に名義貸しで入ったアマチュア無線部で、何でか本格的に部活動を始動させるコトになり、免許取得に至った。

 

数学、物理が苦手な自分にとって、ハッキリ言って判らないコトだらけだったが、試験問題丸暗記で合格出来た。

 

学校の授業中にテキストを読めたコトも合格に繋がった結果だと思う。

 

 

平成2年8月

第一級陸上特殊無線技士 免許取得

 

高校卒業後、就職するコトを考えていた自分は、就職に有利になる資格を取ろうと考えた。

 

専門学校に通うと取得出来る資格を、高卒の時点で取得していれば有利になるのでは?と考えた。

 

この資格は、一度、不合格を経験している。

 

自分が受験・合格した時の合格率は26%。

 

合格した時の喜びと共に、自分自身が天狗になった。

 

高校卒業後、無線関係の会社に就職は出来たが、有資格者に関わらず、全くの無能っぷりで、上司・先輩・同期・後輩全てを呆れさせた。

 

それでも、今現在でも、仕事を探す上では(年齢的にキツい部分はあるが)有資格者としての存在価値は示せる状況ではある。

 

 

平成8年8月 第一種普通自動車(当時)運転免許取得

 

今現在は『中型自動車』である。

 

ちなみにマニュアルで取った。

 

最初に勤めた会社は、車両輸送部門が充実しており、会社負担で大型自動車の運転免許取得も可能な場合があった。

 

別に、それを目指したワケでは無く、何となくその場しのぎで教習所に通い始めた様な感じであった。

 

教習所に通わない日が続いたり、元々、運転がヘタクソなのもあり、金額は当時の値段で36万円かかり、期間も10ヶ月に及んだ。

 

何度か、車を運転する機会があったが、

「アンタの運転はおっかないよ。」と言われてしまい、以後、自信が無い。

 

本人確認書類としては十分に役立っている。

 

平成10年2月

車両系建設機械(整地・運搬・積込み用及び掘削用)運転技能講習修了

平成10年3月

車両系建設機械(解体用)運転技能講習修了

 

最初に勤めた会社を退職するコトに決めた後に取った資格である。

 

取るコトに決めた理由は実に計画性が無く、

もし無職になったら→土木作業?→土木作業で必要な資格は?→コレ?

と言う、よく判らない連想だった。

 

この資格(整地・掘削用)自体は、大型特殊免許を持っていれば2日で取れたが、当時の普免しか持っていない自分は5日間教習所に通った。

 

教習所の職員にも、「あんたみたいな人、珍しいね。」と言われた記憶がある。

 

解体用は、整地・掘削用を持っていると3時間で取得するコトが可能で、これについては特に何も言われなかった。

 

ちなみに、教習所以外でユンボは操作していない。

 

土木関係の仕事に就いたコトも無い。

 

結構、ユンボの操作は面白かった記憶がある。

 

平成31年1月

行政書士試験 合格

 

試験を受けたのは、前年平成30年11月。

 

得点ギリギリの状態で、年を越すのは精神的に良く無い。

 

受験回数は6回。

 

褒められたモノでは無い。

 

そもそもの受験のキッカケは、ある年の正月、酒に酔った父親から、

『役に立つ資格の一つも取らないで、その年齢(当時40代前半)までフラフラしやがって』

と言われたコトにあった。

 

『フラフラしている』と言うのは、独身でいるコトを指していた。

 

独身自体は自分で決めた生き方だから、何だかんだ言われる筋合いは無い。と思ったが、資格に関しては一理ある様な気もしないではなかった。

 

それでも、最初は法律系の資格の興味は無く、無線の上位資格を目指そうと思っていた。

 

数学・物理は、相分からず、意味が判らない。

 

勝目が無い。

 

まだ、文章が日本語で書かれている法律系の資格の方が勝目があるか・・・。と考えた。

 

とは言え、司法試験・司法書士試験はハードルが高い。

 

行政書士試験なら・・・何とか・・・なる?

と言う頼りない連想が出た。

 

そこから、自分の人生でも一番勉強した6年と言う期間が始まった。

 

最も、もっと効率よく勉強を進めていれば、もっと早く合格出来たかもしれない。

 

4回目の受験の時は、行政法の出来が悪くて不合格だった。(計162点)

 

6回目の受験での点数は190点。

 

180点取れれば合格だが、自己採点では182点で合格か178点で不合格と見ていた。

 

合否通知書で190点の得点を見た時は意外に感じた。

 

それ以前に、合格者受験番号に自分の受験番号が記載されていたのを見たとき、その番号が本当に自分の受験番号なのか信じられなかった。

 

父親に合格が記載された合否通知書と合格証を見せた時、嬉しそうな顔をしていた。

が、それまでは、そんなに嬉しがるコトをしていないと言う証明にも取れてしまい、複雑な気持ちになった。

 

 

長々と自慢話を書いてしまった。

 

はてなブログのユーザーなら、何となく許して貰えるだろう。と言う根拠の無い考えがある。

 

行政書士試験の合格以来、完全に燃え尽きてしまった。

 

次に何か資格を取るなら?

 

カッパ捕獲許可証でも取ろうか。

申請して料金を払えば取得出来ると聞いている。