K.Yの成り行きまかせ

チラシの裏みたいなモノです。 読んで不愉快になっても責任は取れません。

今年を振り返る

久しぶりに一つの仕事を通すコトが出来た1年だった。

 

3年位、年の途中で転職する年が続いていた。

 

今現在、在籍する会社は出戻り。

 

前回の在職期間は1年2ヶ月。

 

それは何とか越えそうだ。

 

あと1年10ヶ月在籍すれば、退職金が出る。

 

何とかそれまでは、在籍する様にしようと思う。

 

 

派遣社員時代(と言っても8ヶ月ホド)の人間関係を切った年でもある。

 

その場かぎりの自己満足は、自分にも相手にも良くない。

 

いつまでも『施し』が出来るコトが可能であれば、考えは違ったかもしれない。

 

理解出来ない価値観は、永遠に理解出来ない。

 

理解出来ない価値観の世界の誘いを受け入れた自分が悪い。

 

二度と関わるコトはないだろう。

 

 

通勤途中の度に『平穏無事』を祈る年であった。

 

それは今後も続くだろう。

 

去年の6月から9月までを考えれば遥かにマシではあるが、面倒は苦手である。

 

 

 

第一種衛生管理者の資格を取得出来た年。

 

今まで色々資格を取得したが、会社から「取得しろ」と言われて取得した資格は初めてであった。

 

そもそも資格自体、必要に迫られなければ取得する必要自体無いのかもしれない。

 

 

 

大姪が産まれた年。

 

出産祝いは贈った。

 

まだ、大姪には会えていない。

 

この大姪が大きくなる頃の世の中はどうなっているのだろうと、柄にもなく思う時もある。

 

 

 

昔、最初の会社に勤めていた時に、よく呑んだスナックの(元)ママさんと、その娘さんの1人が亡くなっていたのを知った年。

 

娘さんが亡くなったのは、今年の3月。

 

(元)ママさんが亡くなったのは、今年の7月。

 

(元)ママさんと表記しているのは、自分が最初に勤めた会社を退職した年にスナックを閉めている為である。

 

退職後も、何回か、(元)ママさんに会う機会があった。

 

たまに、ふと思い出した様に、最初に勤めた会社近くの飲み屋街に行くコトがあった。

 

(元)ママさん本人に会えないコトもあったが、ママさんのお姉さんが別の居酒屋を経営しており、そこで近況を聞いて、「宜しくお伝え下さい。」

と、伝言をお願いして退店する感じの時もあった。

決まってその時は、(元)ママさんから電話で後日連絡があった。

 

亡くなった事実を知ったのは、10月1日。

 

多分、49日を過ぎて、仏になった(元)ママさんと娘さんに呼ばれたのかと、勝手に考えている。

 

そうでなければ、わざわざ、片道2時間の飲み屋街、(元)ママさんのお姉さんの経営している居酒屋に

「久しぶりに行ってみよう」

とは考えない。

 

娘さんと(元)ママさんが亡くなった後に、大姪が産まれたコトにも不思議なモノを感じる。

 

 

 

異性に関わる縁は、全く無かった。(笑)

 

本当に、この部分は笑うしかない。

 

一昨年、身分不相応の出来事があり、その影響が続いている。

 

 

 

父母の健康は、現時点では保たれている。

 

来年、父は83歳。

母は80歳。

 

Xデーは、いつ来てもおかしくは無い。

 

その時、慌てるかもしれないが行政書士試験合格者としての知識は少しは活かせる様にしないといけない。

 

 

 

さて、来年はどうなるだろうか。

 

自分は52歳になる。

 

石原裕次郎美空ひばり東八郎、(初代)三波伸介、 52歳

 

そういう年齢になるのだな。と、ぼんやり考える。